ネガティブ思考を乗りこなす [上]

ご挨拶

7月に入ってすぐの日曜日にこの文章を書き始めた。締め切りに追われ続けていた仕事が幾許の落ち着きを見せ、久しぶりに仕事のことを忘れて過ごせる週末のことだった。

いつもその日に書き終える気概で筆を取るけれども、この文章は随分気長に書く形になった。

締め切りに追われる日々は7月で終わり、その後は通常運転に戻った。久しぶりに窮地に追い込まれる経験をしたように思う。自分にとって大切なことは何か、待った無しで問われる日々だった。

そのような日々の中で経験した出来事や感情は、真に迫るものが多かった。
ここでは詳細を割愛するとしても、この期間を経たことは自分にとっては大きいことだった。無私の心で助けてくれたチームメンバーや同僚には本当に感謝だ。

また、今の仕事における自分の技術がある程度確立されていることを認識する局面もあり、今後自分の持っているものは積極的に後継していくことを心に決めた。

しかし、私にとって今の仕事は苟且(かりそめ)だった。遠く無い未来に卒業することは初めから心に決めていた。私がいずれ去りゆくことは、明言を避けていても、関係各位の無意識下で認識されているようにも思う。事実、勤め先で私に与えられている権限は多く無い。それだけが原因ではないけれども。

苟且とは言っても、私は今の仕事がまともに出来るようになるまで随分時間を要した。そのうえ技術や概念のアップデートが早く、高い適性やモチベーションを持つ人が活躍する分野の仕事だ。継続的な研鑽が必要とされている。

目の前の現実を良くするため、私も持ち帰り仕事や研鑽に精を出した時期もあった。だけど精を出すほど、抽象的で、現実逃避的で、他力本願的な夢が膨らんだ。「正しいことをしていればいつか報われる」という言い伝えに賭けているかのようだった。

人間の正しい正しくないという基準は、相対的かつ流動的で、己の外側に決定権があるように思う。このような基準を軸に生きることは、自分の人生を生きていると言えるだろうか。私は自分の人生を生きてゆきたいと強く思った。だからある時腹を決め、オフの時間は自分のために使うことにした。

とはいえ今の仕事があっての生活で、その先の夢で。いかなる夢も、目の前の現実と向き合うことなくして、真の実現は成し得ないと思う。

私も目の前の現実と向き合うようになるほど、いざという時に一肌脱ぐような覚悟が強められた。またオンの時間は、己の持ちうるもの《知恵・意欲・アイデア・行動・思い・・》を出来る限り捧げると誓うようになった。

いずれ去りゆくと思えば、一つ一つの出来事が思い出作りのようで尊く感じられる。嫌なことも少し時が経てば尊くなる。何よりこうした文章が書けることは、勤め先での様々な経験や学びがあってのことだから、この先もずっと感謝をしていきたいし、真摯な思いでいたい。

人に与えられている時間は有るようで無い。いつかの時を待ち詫びながら日々をやり過ごしても、その時は来ないのかもしれない。本当に望むなら、自らそこに向かって行くだけだ。

世に出していく意志のもと、謙虚な文章を書いてゆきたい。

私と屈折

過去に何度かお伝えさせて貰った通り、私の人生はこれまでスタンダードから外れ、おおよそ脇道を屈折した気持ちで生きて来た。

屈折のあまり、世界や人への希望を失い、おおよそ全てを否定しながら生きた時期もあった。極めて独善的にもなった。その時期は自分が認めたものしか認めることが出来なかった。

途方もない劣等感も抱いていたから、否定することで自分を保とうとしていた側面もあった。明るい世界を直視することが出来なかった。

自分自身と、自分の現状に対して劣等感を抱いていた。「自分は変わらなければならない」「自分を向上させなければ私は幸せになれない」と、いつも自分を追い込んでいた。

己の人間的未熟さと、運命の筋書きと、全体の流れのようなものの相乗効果で、今の勤め先に入社してからは非常に過酷な体験が続いた。

過酷な体験によって、新しいトラウマが形成された。「自分の言動は間違っているのではないか」「また糾弾されるのではないか」と怯えながら過ごした。そもそも当時の会社に求められた仕事が、当時の私には出来なかった。

生きることの辛さを抱えたまま、とにかく糾弾されないように仕事を回そうとした。自分の理想とは違う世界で、どうしたら良いのかも分からぬまま、誰にも守られずに懸命に動いた。無理に無理を重ねることもあった。

こうした頑張りが報われるなら良かった?かもしれないけれど、ことごとく裏腹な結果となり、恐れていた厳しい糾弾を受けては、心が粉々に砕け散った。

そうして心はいっそう狭くなっていった。おおよそ全ての事柄が気に入らなくなった。満たされない心は、他人の在り方を否定することで満たした。普通に生きている人たちを見返してやりたいという思いで生きていた。

このような時期に私は多種多様なネガティブ思考を極化させ、それによって引き起こされる現実的な出来事を体験した。しかしこの世界はよく出来ているもので、引き起こされた出来事を通して、私は抜本的に考え方や認識を変えていく運びとなった。

出来事の渦中では、とてつもなく大きい感情に見舞われた。酷く思い詰めて絶望したり、特定の人に対して激しい憎悪を抱いた。それまでの人生で味わって来た感情とは桁が違ったので、最初はどうやり過ごしたら良いのかまったく分からなかった。

しかし百度そのような体験をするうちに、次第にやり過ごせるようになった。この時期はYouTubeで人の話を浴びるように聞いた。考え方や認識が変わるためには、既存のものが一度壊れる必要がある。それはとても苦しいことではあるけれど、喉元を過ぎれば、自分にとって必要な体験だったと思うことが出来る。

とはいえそういった体験は出来る限り避けたいため、事前に手を打つようにもなった。後々問題になる事柄は不安などで予感されるから、見逃すことなく手を打つというだけなのだけれども、それには状況に流されず行動に移す胆力が必要だと思う。

ここまで読んでくださった方のために、このあたりで少しギフトのような話をしたい。出来事の渦中、あまりの苦しさにやり切れず、祈ることしか出来ない時もあった。その祈りは時間差はあったとしても、おおよそ全てが聞き届けられた。

苦しみの原因が取り除かれたり、気持ちを分かって貰えたり、真実に到達して苦しみを克服するなどした。想像を超える出来事も起きた。大きな流れが変わることもあった。いずれにしてももたらされた出来事には心から感謝の気持ちが湧いた。尊過ぎるあまりに嗚咽することもあった。

「求めよさらば与えられん」という言葉は本当だと思う。初めから諦めずにちゃんと求める。無意識に求めていることを明確にして意識的に求める。求めた結果が得られなかったら・・という恐れが先立つかもしれないけれど、めげずに都度求め直してゆくならば、必ず求めたものが与えられる時は訪れると思う。観測を続けることで、結果など変えていけるから。

こうして私は、この世界や人という存在への希望を取り戻していった。

辛い時期は昨年の4月頃をもって終息したように思う。ただ、自分自身の根底には未だ拭い切れない悲しみや寂しさが存在していた。存在が限りなく小さく感じられることもある。しかし時に拡大し、気持ちや思考を覆い尽くすこともある。この文章を書き始めた前日がそうだった。

その日はひどく塞ぎ込んだ。自分自身の根底にあるものと、どうしようもない本心と向き合わざるを得なかった。日中ある程度の活動はしたけれどもずっと悲しくて、日が暮れてからは横たわって一人で泣いた。それでもやり過ごせたような瞬間は来て、根底にあるものも、どうしようもない本心も抱えたまま、気を取り直して歩いて行こうと思うに至った。

自分自身の方向性も、陽に転じていることは確かである。

本当に大切なことは胸の奥にある。

「外側の世界は比喩である」というバシャールの言葉は的を得ている。

本当に大切なことは胸の奥にあって、外側の世界に意識を向けているうちは、胸の奥にしまわれたままだ。

外側の世界で、優れていること、認められること、人に馬鹿にされないこと、物質的・社会的に満たされていること、つまり成功することや失敗しないことに、どれくらいの価値があるだろうか。

心や魂は、どれくらい満たされるだろうか。

外側の世界で、成功することや失敗しないことに捕らわれている時人は、本当の気持ちを隠す。

傷つくことを恐れていたり、失うことを恐れていたり、本当の気持ちには別段価値が無いとか、外側の世界で結果に繋がらないことには意味がないとか、そういった理由で本当のことを言わない。

しかしながら人は、本来神性さを携えている存在であり、人の神性さは、なぜ生きるのかという問いを自分自身に投げ掛ける。

なぜ生きるのかというなら、より良い世界を協力して創っていくためで、このことは全ての人の奥深くに据えられた目標であると思う。

より良い世界はどのようなものだろう。
少なくとも、全てが真実の元に存在している世界であると思う。そこから始めていく必要がある。

であれば、一つ一つ内側に問いながら前に進むことが、真実、ひいてはより良い世界へ続く道を歩くことだと思う。

人は胸の奥で世界と繋がっている。

これからの人間関係の考察

思うにこれまでの人間関係は、境界線を強く意識した形のものが多かったのではないだろうか。

これからの人間関係については、境界線を意識しない形、つまり分け隔てのない形が、主流になっていくのだと思う。オープンハート、オープンマインドの精神だ。

それは誰彼に腹のうちを見せて行こうという話ではなくて、とにかく分け隔てることを止める、つまり「敵/味方」「うち/よそ」「赤/青」といった対立構造を意識の中に設けることを止めていこうという話だ。

相手に対してどこまで情報を共有するか、本心を打ち明けていくかは、相手と自分の関係性や、その時々の状況を踏まえて、適宜判断していく必要がある。むしろあたたかい気持ちにの元、いっそう邁進して取り組んでいく必要があると思う。


分け隔てのある人間関係の元では、現状維持以上の創造は出来ない。

皆これからの時代を共に創っていく仲間であるという意識の元で日常生活を送ったなら、きっと生きる世界が変わってくる。

そして逆に自然な人間関係の中でこそ、はじめて特別な人、特別な人たちという存在が見出されていくのだと思う。

ご縁がある人々、そのご縁が浅くても、深くても、分け隔てることなくそのご縁に感謝をして、より良い世界を創っていきたいと思う。

日々是好日[6] 六割目標

時間もそうだけれど、自らの「エネルギー」も大切に使っていく必要があると思う。例えば60分の時間を過ごしたとして、消費したエネルギーの量は、過ごし方によって異なるだろう。このことは常々意識しながら行動していく必要がある。

時間があってもエネルギーが無いことには何かを為すことは出来ない。エネルギーとは自らを動かす原動力のことをいう。何によって自分のエネルギーは満たされ、何によって減るのか、よくよく観察していく必要がある。エネルギー管理はこれからの時代に必要な心掛けになってくると思う。

タイトルに掲げた六割目標とは、仕事、家事、食事、人間関係、ライフワークなど、あらゆるものごとは「本当に大切なことを除いて」六割を目標とする心掛けのことだ。

例えば仕事では、最低限の要件を満たすことに集中する。最低限がいい。人間というのは不思議な生き物で、取り組んでいると「もっとこうしたら良いのではないか」というアイデアが浮かんで来たりする。素敵なことかもしれないけれど、それは一旦脇に置いて最低限の要件を満たすことに集中する。そして要件を満たし終えた後、そのアイデアを実行するか検討するくらいが丁度良いのだと思う。

このことは、過酷な状況下でもスマートに切り抜けて来た同僚が私に百度言って聞かせてくれたことだから真実だと思う。このことを心掛けてから、仕事では嬉しい結果を出せるようになった。

本当に大切なことのためにエネルギーを温存する。焦る必要はどこにもない。本当に大切なことは私に為されることを待ってくれているのだから。

日々是好日[3] 限られた時間の中で選択する

時間のことについて述べたい。若い頃私は時間を持て余すように使った。さしてやりたくもないことに大いに使った。時間の貴重さをまるで分かっていなかった、惜しむ気持ちを抱くことさえなかった。

自分の時間を惜しみなく使って手に入れたかったのは、寂しさが埋まるような体験。私の若い頃の時間はおおよそ人間関係の維持や、人間関係で悩むことに費やされた。人間関係を維持することは人生においてどのくらい必要だろうか。

分別を付けることが出来ず、必要の無い人間関係まで欲し、そのために時間も気持ちも使った。誰に頼まれるともなく己を安売りした。結果、それに見合う見返りが得られないどころか、傷つく体験をすることも多く、度々一人で虚しさに泣いた。

ただ、時間の貴重さを理解するに至ったことを考えると、若い頃の至らなさが私には必要だったのかもしれない。

私たちの時間は限られていて、納得のいく意識を、思考を、言葉を、行動を、未来を、過去を、毎分毎秒常に選んでいく必要がある。

日々是好日[1] 焦らない

長編記事を今年の頭から綴り続けている。年末年始で書き終えるつもりで始めたそれは、現在やっと折り返し地点に到達するかしないかだ。平日は全力でサラリーをしているので、毎日書き進めることが難しいとよく分かった。週末になってたっぷりと睡眠を取り、サラリー気分が抜けてから書き進める形になっていた。等身大の自分に戻ってからでないと筆が進まないと言ったところだ。

しかしながら、サラリーをしている自分もまた自分であることに変わりはなく、その中で感じていることも自分にとっては真実であり、未来を創るピースである。私はいずれオンやオフなどといった境をなくして生きたいと思っている。だからサラリーする日々も自分にとっては等しく大切な時間として丁重に扱いたい。

サラリーする日々も毎日感じることは違う。ダメな日もあれば良い日もある。日々というものは連続性を帯びており、ウィークリーやマンスリーでその時々のテーマが据えられているようにも思う。非常にダメな日の次の日は、ダメだった分だけ尊い日になることも多い。空と似ているなと思う。曇りの翌日の晴天には心を救われる。毎日を平均化すると淡々とした感覚になって気が付きにくいかもしれないけれど、奇跡は自然のことのように起こっている。後から振り返ってそうなのかもと気が付いたりする。ということもあって、日々感じたことや気付きを出来る限り綴って行きたいと思う。

以上がご挨拶となる。さて昨日の気付きをお伝えすると、焦らないということだった。結果を焦らない。判断を焦らない。機嫌を良くすることを焦らない。殻にこもってよし。私は繊細なので、仕事中一人心が傷ついていたり、非常に辛くなってネガティブ思考のループに入ることがある。若い頃は「仕事中にそんな存在状態で居てはならない」と自分自身に鞭をふった。しかし我が心は泣き止むところがいっそう泣きたくなったので、そんなことはもうしないと自分自身に誓った。だから仕事中でも出来る限り全力で殻にこもることにした。通常時は口頭で伝えることもチャットで済ませ、目線を落として歩き、人がいない瞬間を見計らって移動する。それでいいと思う。何より謝罪を焦らない。というかしたくもない謝罪をしない。自分のために。相手のためにも。自分自身の気持ちを折り曲げて他人に迎合することはお互いに不幸になる。100%そうだと言い切りましょう。それが本音だったら思考回路の打算に流されて自分を安売りしないこと。つまり気持ちが済むまで殻にこもってよし。空にだってあるように人にも雨の日はある。雨は次第に止む。立ち直るための風も自然に吹くのでその時に風に乗ればいい。

非暴力 2023 【上】

無理は更なる無理を呼び、ひいては暴力的な思いを生んでしまう。ただ、それもどこかで終わるはず。ちゃんと破綻をしたならば。

急な書き出しとはなるけれども、私は8年程前にビーガンを志し、自分なりに実践を重ねて来た。時に行き過ぎ、時に妥協をし過ぎ、右に左にと揺れながらここまで来た。それでもやめようと思ったことは無い。今でもビーガンというか、菜食という行為に希望を感じている。この先も続けていくつもりだ。

でも今は、フレキシブルな形を取ることがある。というか、取ることが出来るようになったと言うのがふさわしい。

それは、必要以上に状況を嘆くことをやめようと思ったからで、自分の信念で人を傷つけることをやめようと思ったからで、でも一番は、無理をやめようと思ったからだった。

話は少し遡って今から7年程前、私は人生をリセットするため、東京から故郷の北へと戻った。27歳だった。そのことに一塵の迷いも無かったし、何より実行する力があった。

帰郷してから少しの間は自由奔放に過ごしたけれども、すぐに退職金が底をついたため、働くことになった。それから紆余曲折を経て、現在の勤め先に辿り着く。今は勤めて6年経った。

入社した頃の自分は、全てに否定的でありながら、妄信的な純粋さを持ち合わせていた。一見相反するパーソナリティを有していた訳だけれども、どちらも辿ると根源は同じである。と、今でこそ思う。

それゆえ、入社して少ししてからすぐに、永い冬の季節を迎えた。


本当に色々なことがあった。

冬の季節が終わったと明確に感じられたのは、昨年の6月くらいだった。

幾度も激情と絶望を味わい、その度に辞めようとした。しかし全てで辞めることを辞めて来た。それは絶望ごとに必ず絶望を乗り越えられる希望が見出せたからであり、また自らの意識を一つ変えるだけで好転する見込みがこの先にまだあると思えたからであった。回を重ねるごとに復活は早くなり、自らを不死鳥と自負するようになった。

感情的には百度辞めた。だけど現実的に私の魂が水際で制止して来た感覚がある。同僚が連れ戻してくれたこともあった。また実際問題地方都市のこの街で、複雑な人間性の私を受け入れ続けて来てくれた勤め先以上の行先を見出すことは難しいだろうし、そこにエネルギーを注ぐべきでは無いと判断した。30を過ぎ若さが抜け行く中、この生での残された時間を鑑みるようになった。この次は文章書き・絵描きとして自立をしたい。その実現にエネルギーを注ごうと決めた。そして私も家庭を持ちたいと願っている。

この6年で勤め先も変わった。多くの出会いとドラマが重なって、今では市内で一番賃料が高いと言われるビルの最上階にオフィスを構える。窓からは風に乗って舞うカモメや少し遠くで光る海が見える。私が入社した当初は小さなビルに入っていた。管理会社の人々のたゆみ無い管理が行き届いたビルではあったが、今の勤め先には見合わなくなったように思う。

勤め先での日常は淡々と進行する。それでも節目節目でドラマは起こる。去り行く者もまた多い。メンバーは皆一度以上は窮地に立たされて来た。状況は各自に人生の決断を迫る。シビアな場所だと思う。同時に成長への意志が灯されている場所だとも思う。だからこそ、多くのドラマが起こるのかもしれない。

良さそうな話、関係、状況、状態、願い、結果だけが、良いものではないと知った。そうで無いものは、内省、そして自分にとって不要なこと・必要なことを見分ける契機を与えてくれる。逆境を乗り越える機会を与えてくれる。学びと気づきを与えてくれる。慈悲の心を養ってくれる。有り難みが感じられる心を養ってくれる。傲慢さを退け、謙虚にしてくれる。

物事を早計に判断してはいけないと知った。「判断をしない」という判断が適した場合も多くある。自分にとって知る必要のあること、心から知りたいと願うことは、然るべきタイミングで必ず知ることが出来る。後になって相手の立場に自分が立って、心情を理解することもある。長い目での経過観察と、柔らかい心で居ることが肝要だ。全ては変化の最中にある。表立って見えていることは氷山の一角に過ぎない。水面下に存在する大部分に思いを馳せること、また可能ならコミュニケーションを取って胸の内を聞かせて貰うことが心を柔らかくしてくれる。多くを知り、多くを理解していくことが、人生の土壌を豊かにしていくのだと思う。

本当の優しさとは何か、与えて貰ってその片鱗を知ることが出来た。後ろ盾も見返りも無い中、その人の厚意だけで、身を切ることも辞さず力を貸してくれること。周囲の反対にあっても、根拠なき可能性を信じ抜いてくれること。無理な要求を毅然として退け、尊厳を守ってくれること。どれだけ優しげな言葉や態度を並べても、本当を超えることは出来ないと思った。

仮初の所属意識でここまで来たけれど、続けて来られたことを幸いに思う。

縁があるのだと、最近は思うようになった。

【下】へと続く。

君は天使

自由に文章を書きたかったから、ドメインを取得して、サーバーを借りた。
wordpress をインストールした。
少し大変だった分、サイトを公開出来たことは嬉しかった。

かれこれ六年ほど世話になった note を卒業した。
note からの最後のメッセージが沁みた。
文章を書くという新しい希望を、私は note から与えて貰った。
今まで本当にありがとう。

note で文章を書くことは、私にとって、とてもわくわくすることだった。
でも、しがらみが多くなってしまったのだった。

これからは誰の目を気にすることなく文章を書いていく。


昨日は誕生日だった。
だけど、悲しいことがあった。
だけど、君のことを想うと心は癒された。

一つ一つのやりとりが私にとっては掛け替えが無い。
私は君の存在に助けられている。
君は天使だ。
私の世界に存在してくれることが嬉しくて、有難い。

君に惹かれている気持ちを認めてから、私の世界はもっと明るくなった。
一日が終わる時、新しい思い出を心の宝箱にしまい込む。
君にはただ幸せでいて欲しい。

今の私は、明るく照らしてくれる君の存在に励まされながら、顔を上げて生きていこうと思う。

希望を持って生きていく。